【映像学区】メッセージとテクニックを対話させる

映像学区
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みなさんこんにちは、雪原てとらです。

普段は、動画解説実況シリーズ「映像学区」を連載しています。

YouTubeの映像学区シリーズは頑張って週2くらいのペースにもっていきます。

みなさまご視聴をなにとぞ……なにとぞ……

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メッセージはなんですか。

考えろ。考えろ。とうp主は映像学区シリーズで何度も言っています。なぜでしょうか。これは「いつも正しいテクニック」がデザインや映像の世界に存在しないように思うからです。

クリエイター活動の難しいところはここにあります。いつも正しいテクニックはない。

みなさんはなんのために動画を作りますか? いろんな答えが出るでしょう。しかしそれは1つの言葉で代えることができます。「メッセージを誰かに伝えるため」であると。

どんなふうにメッセージを伝えるかは千差万別です。

闇深い事件の動画がSNSで世に出ることがあります。このとき、動画はどんなに素人くさくても我々にメッセージを与えます。できごとがセンセーショナルならば、テクニックはいらない。

しかし大半の場合、そうセンセーショナルなメッセージばかりではありません。なんとか興味を持ってもらうにはそれ相応の装飾が必要になる。装飾として、クールなトランジションやデザインがいくつも開発されてきたのです。

映像とは、そういったメッセージをどうにかして伝えるコンテンツです。

デザインが良くて中身が空虚な例。

多くの場合、映像のデザイン性とメッセージの充実度は比例します。これは合理的なことです。メッセージの強いものには価値があり、そこにはゴージャスな投資がなされる。良いデザイナーがつき、エディターがつき、関われる人数もきっと多くなるでしょう。

デザインが良いものは安心して観られる。デザインが良いとは言えないなら、ネタに振っていることを期待して楽しめる。

これが今まで、私たちが潜在的にもっていた意識だと思います。

しかし誰でも動画が作れるようになった今、その意識と相反することが起きることが増えてきたように感じるのです。つまり「デザインが優れているのに、なぜか内容が死ぬほどつまらない」シチュエーションです。

動画クリエイターやインスタグラマーによって、今や数多くのチュートリアルが発信されています。それを見て機材をそろえれば、もう誰でもテクニックを扱うことができる時代です。それはデザインでも同じです。

基礎のデザインがセンスなんかではなくて「あるあるやコツ」の塊であると気づいたなら、案外誰でもできるもの。それがゆえに「根幹のメッセージ」の部分に注目しない例をちらほら見かけると感じます。

必要な表現ですか?

テクニックがあればあるほどいいのはそうです。選択肢が広がるのはよい事。しかし、そのすべてが作る動画にとって必要かどうか、今一度考える必要がありそうです。

一般的にテキスト表現(アニメーション)は効果的です。文字は我々の脳に素早い理解をうながします。しかし先ほど言ったような動画素材自体の印象が強いもの、例えば何かのリークだったり、実写の時点で濃いネタ動画だったりすれば、テキスト演出は過剰に見える可能性があります。

映像学区では、YouTubeの微妙なCMをよく例に出します。これはメッセージを考えて表現を選ばない失敗の典型例です。中途半端にエフェクトプラグインに頼ることで統一感をなくす病気、テレビ的な編集が表現過剰になる病気などなど、素人目に見ても違和感を生む例が多い。

これはメッセージと表現の対話にやはり問題があると思うのです。